大村市議会 2020-12-03 12月03日-03号
石井筆子、お父さんは渡辺清、母ゲンの長女として、玖島城下、楠本正隆公のお屋敷のすぐ近く、その岩舟に生まれ、御承知のように、父、渡辺清は大村藩三十七士の一人にして、特に新政府軍の中心であった西郷隆盛の信頼も厚く、歴史的なことです、江戸城明渡しの際、西郷隆盛と勝海舟との会談に同席したということはあまりにも有名なことなんですけど、萩に行ったらこのこと何も書いていないのです。
石井筆子、お父さんは渡辺清、母ゲンの長女として、玖島城下、楠本正隆公のお屋敷のすぐ近く、その岩舟に生まれ、御承知のように、父、渡辺清は大村藩三十七士の一人にして、特に新政府軍の中心であった西郷隆盛の信頼も厚く、歴史的なことです、江戸城明渡しの際、西郷隆盛と勝海舟との会談に同席したということはあまりにも有名なことなんですけど、萩に行ったらこのこと何も書いていないのです。
大村にはこのほかに、石井筆子さん以外に皆さん御存じのように、松林飯山、渡辺清、昇兄弟、楠本正隆、長与専斎、長岡安平、長岡半太郎、荒木十畝、偉人とは言えないかもしれませんけれど、濱田謹吾少年とか、題材になる方はいらっしゃると私は思うのですが。
渡辺清、渡辺昇、楠本正隆、石井筆子、このほかにもたくさんの偉人がいらっしゃいます。その中で、渡辺清、大村藩三十七士の一人として維新の立役者であり、新政府軍の参謀として、また、特に新政府軍の中心であった西郷隆盛の信頼は厚く、江戸城明け渡しの際の西郷隆盛と勝海舟との会談に同席したことは余りにも有名なことであります。 石井筆子、渡辺清の長女として、この大村城下の岩舟で生を受ける。
その中で、そこでは渡辺昇だったんですけども、御存じのように兄の渡辺清、楠本正隆、石井筆子など大村藩で幕末から明治にかけて多くの傑出した人材が輩出されております。 そういう中で、現在佐賀県では、肥前さが幕末維新博覧会というのが開催されております。大村市も同じような資源がありながら、規模は小さいですけども、残念な気がします。
そこがもし売却をされ、更地になったりして、例えば新たな家が建つとかいうことも考えられるんですが、先ほど申しましたように、そういうところがなくなった場合には本当に大村市の史跡あるいは、この江戸末期を含めての建物としては楠本正隆邸のほかには、もう旧松屋旅館の松原宿のそこら辺しかないというようなことを--随分前になるんですが、平成14年ごろに大学の教授の方からの提言あるいはその調査の報告書を私も見せていただいておるんですけれども
また、このほか、明治時代には東京府知事を、衆議院議長を三代にわたって務めた楠本正隆、日本近代医療を整備し、初代衛生局長である長与専斎、原子物理学の長岡半太郎など、大村市は多くのすばらしい方を輩出をしているわけであります。 少し長くなりました。少し勉強してきたものですから、ちょっと御披露をさせていただきました。
そのほか、子ども読書活動推進事業における学校司書の人員配置や、旧楠本正隆屋敷管理運営事業における施設の老朽化に対する対応について確認するなど、内容を検討した次第であります。 以上、審査経過の概要を申し上げましたが、採決の結果、全会一致で認定すべきものと決定した次第であります。
だから、教育センターも大事だけど、それもどっかにもっといい施設をつくって、ここには、なるべく旧楠本正隆邸と同じような状態の施設をつくってやるべきだと思っています。 そして、もう一つは、陸上競技場の問題です。陸上競技場は区分が第1種から第4種までございますけど、このまましていると第4種もなかなか難しいんじゃないかと思っています。だから、ここを野外コンサート場にできないかということです。
今度、県立市立の合築の図書館ができ上がることによって、そこに歴史資料館も入るということですので、当然純忠や渡辺兄弟、楠本正隆とか、いろんなすごい方がいらっしゃる、そういう大村の歴史の中心的な人たちの展示になるのはわかるんです。 前回、どうにかできませんかということに関して、次長のほうから、撮影に使用したというあれは、現代に使った船であると。歴史資料とはちょっと違うんじゃないかと。
その後、史料館に展示しておりますのは、先ほど言われましたけれども、毎年、旧楠本正隆屋敷の春や初夏のイベントで特別展示という形で、これは家屋に合うという形で展示をさせていただいているのが現状でございます。 ◆12番(朝長英美君) 提案でありますが、大村市が旧大村浜屋を購入が決まっております。
国指定文化財である本経寺大村家墓碑群、旧円融寺庭園、県指定史跡楠本正隆屋敷、市指定遺跡大村純忠終焉の居館跡、いずれも大村市が誇る代表的観光資源と思いますが、それぞれ何台の駐車が可能でしょうか、また、観光バスは停車できますか。
楠本正隆邸が一部ございますけども、低額でやっております。大村公園、玖島城一帯、今、御指摘のきのうも話がありましたお船蔵、あるいは梶山御殿等も含めてありますが、なかなかフェンスで囲いをして対応するというのは難しい問題があります。 そこで、入園料のかわりにといいますか、駐車料金、駐車料の有料駐車場をつくるということに向かって、今、準備を進めているところです。
長岡半太郎とか、石井筆子とか、楠本正隆とか、枚挙にいとまがないわけです。そういうことです。だから、郷土愛を育む。それで、あとはそれを、郷土愛を愛国心に持っていきたいというふうに思っています。いろいろありますが、ちょっとだけ言っておきます。 ◆10番(城幸太郎君) 大変力強いお言葉をいただいて、私もほっとしました。実際本当に、他自治体との競争というのが近い将来、間違いなく出てきます。
大村公園発着で歴史観光ボランティアガイドの案内によりまして、旧楠本正隆屋敷や本経寺などを90分で回るコースを運行しております。 利用状況につきましては、桜の期間が227名、これはバス1便当たり平均11名、花ショウブの期間が392名、1便平均20名の利用となっております。利用状況につきましては、昨年よりは増加をしております。
また、新潟県では楠本正隆が第2代県知事を務めております。現在、新潟県には、福島県を初めとして7,000名以上の方が避難をしており、相互に会う機会が少なく、孤立している状態があるとの報道もございます。
そこに展示する資料としては、渡辺兄弟や楠本正隆とか松林飯山、もろもろ勤王の志士と言われた人たちの遺品等もいっぱいあるわけですから、そこに同じ時代を生きた龍馬が、一応撮影のために使った船ですよというようなことをして入れれば、展示の1つのアイテムになると私は十分思っています。
長岡半太郎、石井筆子、渡辺昇、楠本正隆、本当に多いです。余りに多過ぎて、なかなか焦点が絞り切れていないという面もあるんではないかと私は思っております。長崎を開き、日本を外国に開いたもともとの方が純忠でございます。ぜひ大きく発信をしていただきたいというふうに考えます。
また、楠本正隆は有名であります。明治何年ですか、衆議院議長をやられた方であられますけど。黒板勝美、日本歴史学の祖とか、長岡半太郎は物理学者とか、荒木十畝、本名は朝長悌二郎と言われるんです。日本画の大家であります。長与専斎、この人は医師免許をつくった方です。 このような方を青年会議所、この人たちは子供たちを集めて歴史の勉強会をされているんです。
◆13番(永石賢二君) 話がちょっとまた前へ戻りますが、20年ほど前になりますか、楠本正隆邸を買収するときに、最初、民間の不動産会社の方が買われたんです。これを市のほうでとにかく買っていただく、そうしないとあそこは開発されるということで慌てて、そしてそのとき買収費が1億ぐらいかかったんじゃないかと思います。